村山富市首相は年頭にあたり首相官邸で内閣記者会と二十八日会見し、社会党の新民主連合所属議員の離党問題について「政権に影響を及ぼすことにはならない。離党者がいても、その範囲にとどまると思う」と述べ、大量離党には至らないとの見通しを示した。 また、一九九五年中の衆院解散・総選挙の可能性に否定的な見解を表明、二十日召集予定の通常国会前の内閣改造を明確に否定した。 ロシア南部チェチェン共和国の首都グロズヌイに進攻したロシア軍は三十一日、首都中心部を装甲車などで攻撃、大統領官邸など数カ所が炎上した。 ロシア側は首都制圧の最終段階に入ったとみられる。 グロズヌイからの報道では、ロシア軍は激しい空爆と砲撃を加えた後、装甲車部隊が大統領官邸付近に進出。 同官邸前などでドゥダエフ政権部隊と激しい市街戦を展開している。 一方、ドゥダエフ政権側の首都防衛司令官は同日夕、テレビを通じ、首都防衛はうまくいっており、ロシア軍の戦車五十両を破壊したと発表。 また、ドゥダエフ大統領は現在、交渉中のロシア議会の代表団とともに防空ごうに避難しており、無事という。 ドゥダエフ大統領は三十日夜、エリツィン・ロシア大統領に正月休戦を提案したが、ロシア側はこれを黙殺した。 村山富市首相の年頭記者会見の要旨は次の通り。 当面、行政改革、とりわけ規制緩和、特殊法人の見直し、地方分権など大きな課題がある。 今秋には議長国としてアジア・太平洋経済協力会議に臨まなければならない。 国内外の、緊迫した重大な課題を抱えている時に政治の空白は許されない。 ようやく経済も明るさを取り戻しつつある微妙な段階なので、今は解散の時期ではないと考えている。 党内の議論や党関係者の意見は「保守二党論はよろしくない。市民の側に立った平和と民主主義を担う政党が必要」というものだ。 社会党の新党衣替えにはほとんどの方が一致している。 そういう方向を目指して努力しなければならない。 段取りについては若干意見の違いがある。 社会党は連立政権の首班を担っており、責任がある。 党内にそれほどの動揺はない。 村山政権に影響があるということにはならない。 離党がうわさされている人と新党作りについての考え方は違いがないと思っている。 今、なぜ離党しなければならないのか理由が理解できない。 委員長として党の結束を大切にしたい。 内閣改造を通常国会召集前にやる考えはない。 細川内閣の時、予算編成をやった閣僚が予算成立を図るべきだと言って改造に反対した経緯がある。 閣僚はみんな特殊法人の見直しをやる気になっている。 一年ぐらいは続けてもらうのがいいと思っている。 政と官が一体になって国民に応えていかなければならない課題だ。 目に見える形で特殊法人の見直しをする。 二月十日ぐらいをめどに決着がつけられるようにしたい。 必ず実行する。 カンボジアなどいくつかの経験に照らして憲法の枠内で、できるだけのことはやっていく。 PKFの見直しについてはまだ考えていない。 戦後五十年の節目であり、冷戦構造が崩壊し、世界が新秩序を求めている時期に二十一世紀を展望する日米の親密な関係をどう構築するかが今度の日米首脳会談の大きな課題だ。 アジア・太平洋における日米関係を機軸とした役割は大きい。 クリントン大統領ときたんのない話し合いをしたい。 通常国会の進行状況、中国の状況との見合いで、機会があればできるだけ早期に訪中したい。 国連は常任理事国の問題だけではなく改革されていかなければならない。 むしろ地球規模の環境、人口、食糧など広範に国連の果たさなければならない役割は大きい。 国連改革を前提に考えていく。 高知県の橋本大二郎知事は三十一日、都道府県で初めて一般事務職の採用資格から国籍条項を撤廃する方針を明らかにした。 高知県の現在の一般事務職の採用は日本国籍が要件。 国は「公権力の行使や公の意思形成に携わる公務員は日本国籍が必要」との姿勢だが、地方公務員法では日本国籍がない人の任用を禁じる規定はない。 橋本知事は「地方行政の運営上、国籍条項の必要性は感じない。少なくとも日本に生まれ育った在日韓国・朝鮮人を地方公務員として排斥する理由はない。戦後五十年を契機に実現させたい」と話している。 世界がアッと驚く若い首相が誕生し、がんじがらめの規制がたった一本の法律で撤廃された――新春の初夢であり、期待です。 こんな単純な発想にあやうさ、脆さを感じる人は多いでしょうが、混迷の転換期を乗り切るため「日本は変わった」ことの証であり、メッセージになるはずです。 そのためにはあらゆる分野で思い切った世代交代が必要になるでしょう。 五十年前、敗戦・占領という歴史的な衝撃の中で、日本は戦後の第一歩を踏み出しました。 経済復興と国際社会への復帰が悲願となりました。 これを支え、その後の日本の活力を生んだものは占領軍による公職追放という名の“外圧”による世代交代でした。 旧体制下の政、官、財のリーダーが追放され、未経験の若い人たちがトップに立たざるを得ませんでした。 政界にも二十代、三十代の若者が飛び込み「戦後政治」の幕が上がりました。 今は敗戦直後にも似た大胆な切開手術を必要とする時代に入っています。 奇跡的な経済発展をもたらした官僚主導のシステムが、逆に障害となり機能不全に陥っているのです。 漂流する政治に対して、「官」がますます強大になっているように見えます。 しかし、それは表面的なもので、実態は自信を喪失するとともに、レゾンデートルを求めて揺れる姿が透けて見えます。 行政改革、規制緩和、地方分権の時代の要請がこれに追い打ちをかけます。 強大な権限を持つ大蔵省が「諸悪の根源」のように言われ、他省庁や海外から大蔵分割論が唱えられ、外務省・通産省無用論や建設省・農水省合併論、郵政省の民営化論などが半ば公然と語られるようになりました。 ちょっと前までは考えられないような変化です。 許認可、規制のシンボルのように言われる運輸省も例外ではありません。 航空業界トップは「このままでは航空会社は早晩、赤字タレ流しの第二の国鉄になるしかない」と悲鳴を上げ、JR各社首脳は運賃、宿泊費、サービス料金の内外価格差の増大に「産業の空洞化は製造業からあらゆる産業に広がりつつある」と警鐘を鳴らしています。 銀行、証券、生・損保など金融機関は「ある日突然に日本から株式市場が消える悪夢を見る」と訴え、政府・日銀が「金融秩序維持のため」に発動した信用組合救済銀行の設立も、「バブルに踊った“悪徳”金融機関の救済に税金を使うことに閣僚からも批判が出ているが、ヘタをすると大変なことになる。そうなったら国家的犯罪ですよ」とまで危惧するのです。 いずれも許認可、規制の弊害が「来るところまで来た」という危機感のあらわれです。 大型の汚職事件、政治スキャンダルの温床ともなってきました。 世代交代と規制緩和は、政治家の役割と質を劇的に変えることにもなります。 これまでのような既得権益の擁護や利害関係の調整、利益誘導の根拠や活躍の舞台を失います。 これに地方分権や小選挙区比例代表並立制導入という新選挙制度が加わることによって、政界地図は激変する可能性もあります。 選挙通で知られる中堅議員は「高齢の現職議員や既成政党の看板だけが頼りという候補者に著しく不利」と分析し、有力閣僚の一人は「国会議員の仕事がなくなり、存在価値が薄れる」と心配するのです。 そんなことはありません。 政治家や選ぶ側の有権者の意識の変革が不可欠ですが、国会議員がやるべき仕事は何なのか。 転換期を乗り切るためにただちに打つべき手は何なのか、がようやく見えてくるのです。 それが日本の直面している政治、経済、行政の構造転換の方向でしょう。 今年は四月に統一地方選挙、七月に参院選挙があります。 さらに新選挙制度下の解散・総選挙の年内実施も予想されています。 奇しくも戦後五十年の節目の年に「三大選挙」が実施され、日本の将来の方向を決める重要な「選択」が迫られることになります。 政治はなお混迷のまま越年となりました。 政権与党も野党も、まだ従来の政治の枠組みの中で離合集散しており、次の総選挙と政界再編成第二幕に向けた「仮の宿」の姿です。 戦後五十年の「選択の年」に初夢が少しでも実現されればと思います。 村山富市首相は年頭の記者会見で、「創造とやさしさの国造りのビジョン」と題する所感を発表した。 今月中に首相を囲む学者グループが発表する「村山ビジョン」の基本的な考えを示したもの。 「わが国にふさわしい国際貢献による世界平和の創造」と銘打った非軍事分野の国際貢献など「四つの創造」を打ち出している。 所感は、冒頭で戦後五十周年の節目の年のキャッチフレーズを「改革から創造へ」と表現。 「経済社会」では産業空洞化への対応や雇用対策としての経済構造改革、「やさしい社会」では心の通った教育や銃、麻薬対策の必要性をそれぞれ指摘。 「世界平和」では憲法の枠内での日本型国際貢献として貧困・飢餓対策など非軍事分野を示し、国連平和維持活動中心主義からの脱却をにじませた。 村山富市首相が発表した「年頭所感」の要旨は次の通り。 村山内閣となり、長い懸案だった政治改革、税制改革、被爆者援護法など困難な課題に大きな区切りをつけることができた。 戦後五十周年を機会に来るべき五十年を展望し、「改革から創造へ」と飛躍を図るため、「創造とやさしさの国造り」に取り組む。 第一は「自由で活力ある経済社会の創造」。 規制緩和、特殊法人の見直し、地方分権の推進、情報公開などの行政改革を実行する。 第二は「次の世代に引き継いでいける知的資産の創造」で、基礎的研究や独創的技術開発を充実、新たな産業分野をつくり出す。 第三は「安心して暮らせるやさしい社会の創造」。 少子・高齢化社会の中で安心して暮らせるやさしい社会づくり、銃や麻薬のない社会の実現をめざす。 第四の「我が国にふさわしい国際貢献による世界平和の創造」では、戦後処理の個別問題に対処する。 就任後初めて地元の大分県へ里帰りしていた村山富市首相は三十一日夕、三泊四日の日程を終えて日航機で羽田空港に到着した。 首相は記者団に対し、「突然大分に帰ったが、温かい歓迎に接し『地元はいいなあ』という感謝の気持ちでいっぱい。期待に応えてしっかり頑張らないといかんという気持ちを一層強く持った」と感想を述べた。 社会党は今年、党の存亡をかけた「民主リベラル新党」構想の実現に取り組む。 二月十一日をめどに開く臨時党大会で新党結成方針を決定し、他党派や市民団体などに働きかける考えだ。 しかし、旧民社党は大半の議員が新進党に参加し、さきがけとの連携も流動的で連携相手は不確定だ。 「新民主連合」は今月、独自の新党準備会を旗揚げする方針を崩しておらず、久保亘書記長ら執行部は、党分裂の可能性もはらんだ状況下で難しい手綱さばきを強いられる。 久保氏は当初、連合を支持基盤とする民社党や民主改革連合、さきがけ、日本新党の一部などを新党のパートナーに想定した。 しかし、民社党は新進党に参加。 民改連は夏の参院選で新進党側の支持も得たいため、二の足を踏んでいる。 久保氏はさきがけに期待し、武村正義代表と頻繁に接触、武村氏は連携に傾いていると言われるが、さきがけ内部には「社民主義と保守リベラルは違う」などの慎重論は強いという。 新民連急進派は通常国会召集前の新党結成を主張。 穏健派は、統一地方選前を主張する。 新党慎重派の「村山政権を支え社民リベラル政治をすすめる会」は「参院選後で十分」との姿勢で、妥協点を探るのは難しそうだ。 今のところ二月の党大会では結成方針を決めるだけで、統一地方選は社会党として戦うことがほぼ確定。 参院選の前か後かは「統一地方選の負け方で決まる」との見方が強い。 山花氏らは「国会が開会すれば予算審議、統一地方選と続き、新党結成がずるずると先送りされる」として、通常国会召集前に独自の新党準備会を結成する考え。 離党に踏み切るかどうかは流動的だが、準備会参加の人数が当面の焦点だ。 「すすめる会」は「離党は倒閣運動」と、新民連所属議員を個別に説得、離党騒動に冷ややかな地方本部、労組を通じての切り崩しも活発だ。 新民連幹部の一人は「地元の支持労組に相談したら、離党には難色を示された」と証言する。 このため「離党者が出ても、選挙区事情から新進党に近付かざるを得ない十人程度」との見方が広がっている。 共産党は一日付の機関紙「赤旗」で、宮本顕治議長のインタビューを掲載した。 昨年は六月下旬から約一カ月入院した宮本氏だが、インタビューでは「ジャーナリストから時々、『いつまでやるつもりか』とか、それに類する質問を受ける」と自ら紹介したうえで、「誇るべきことであっても、恥じることは何もない」と力説、健在ぶりを強調している。 アジア・太平洋経済協力会議は、今年五月にもソウルで情報・通信担当閣僚を集めた「APEC情報サミット」を開催する。 政府筋が三十一日、明らかにした。 マルチメディア時代をにらんだアジア・太平洋の情報通信基盤を整備するため、光ファイバー網の拡充、情報通信の標準化、公的分野の情報化など広範な課題を協議する方針で、今後は毎年定例開催し、アジア・太平洋地域の情報化推進の司令塔の役割を果たす。 APIIは、米国が提唱する地球規模の情報通信基盤のアジア・太平洋版。 しかし、米国のこれまでの主張は先進国重視で、性急な要求が目立ち、発展途上国からの批判が強かった。 このため、情報サミットは、米国を含めた先進国と途上国の利害を調整する初の閣僚レベルの会合となる。 情報サミットは、九四年十一月にインドネシアで開かれたAPECの非公式首脳会議で、韓国の金泳三大統領が内々に提唱したものの非公開扱いとなり、会議終了後に発表されたボゴール宣言にも盛り込まれなかった。 現在、議題を韓国政府が水面下で検討しており、今年二月中旬に福岡で開かれるAPECの高級事務レベル会合で、韓国側から具体的な提案がある予定。 一九九五年のえとは亥。 総務庁統計局の調べによると、亥年生まれの年男、年女は推計で千四十一万人。 うち男子は五百九万人、女子は五百三十二万人で、女子の方が二十三万人多い。 生まれた年別に見ると、最も多いのは四七年生まれの二百三十四万人、次いで七一年生まれが百九十九万人となり、第一次、第二次ベビーブームの影響がくっきりと表れている。 後に昭和に入って、反軍演説で名を馳せた憲政会の斎藤隆夫が、日記にこう記したのは、いわゆる男子普通選挙法が成立した一九二五年三月二十九日のことであった。 それまで総人口のわずか二%程度だった有権者数が、一挙に二〇%に拡大され、確かに、選挙制度として画期的なものではあった。 「我國の政界に新時代を畫すべき當日の兩院の傍聴席には流石に熱心な聴衆の緊張した顔が幾重にもぎっしりと重なり合ひ……」 毎日新聞の前身、「東京日日新聞」は同年三月三十日付朝刊で成立の様子をこう伝えている。 「選挙」という制度は、人間が考え出した政治のシステムの中では、最良、最高の英知だとされる。 日本の選挙制度は一八八九年、小選挙区制中心でスタートしたのだが、現行の制度は、この男子普選法が原型となっている。 冷戦の終えんが「どんな政党でも政権を担うことが出来る」状況をもたらし、三十八年間の自民党支配から覚めた日本の政治だが、同時に、行き詰まった利益誘導型政治に代わる政治の目標としての「価値」を見失ってしまい、政治全体が漂流状態に陥った。 政治への不満うっせきと、政治からの逃避、しらけ、の両極ばかりが混じり合うこの世相。 政治が目指す「価値」をどうとらえ直し、ポスト冷戦や、二十一世紀に密着した具体目標をどう定めるか、腰を据えて取りかかるときだ。 折しも「選択の年」である一九九五年。 至極当たり前なことなのに、すっかり見落とされている政治の仕組みから、まず点検してみたい。 第一、政治家も有権者も、議員は「代表」ではなく「代理」だと思い込んでいないか。 国会議員は、全国民を代表するのであって、個々の有権者、個々の地域の委任を受けているわけではないことを忘れていないか。 そして、政治は、官僚組織などと違い、国民が直接コントロールし得るのだ、という仕組みを置き忘れていないか。 なあんだ、分かりきっている、と言われるかもしれない。 だが、政治が自分たちから離れていった元を正せば、ここにたどり着く。 地域や個人、業界の「代理人」だと誤解しているから、地元に橋や道路を造り、業界などに利益を還元してくれる議員が「いい議員」であるという「ねじ曲がった最良の英知」になり果てた。 二五年の男子普選法に対して、東京日日新聞は、実は社説では、当時の世界の議会制の水準にほど遠い内容だと、厳しく批判した。 女性が有権者からはずされ、選挙年齢が二十五歳以上と高すぎること、有権者資格を改悪したこと、などの内容だったからである。 もう一つ、この選挙法には今日のねじ曲がりを生む発生源ともいうべき重大な側面があった。 それまで相当部分、自由であった選挙運動が、党利党略によって厳しく規制されるようになったのである。 この時盛り込まれた戸別訪問の禁止は、今日なお続く。 そして、候補者も有権者も、本来、政策を訴えて支持を求める選挙運動の原点である「戸別訪問」のノウハウを体得しないまま、今日まできてしまった……。 日本は、戦後五十年の節目で、小選挙区制という、いわば「選挙という英知をスタートさせた時の原点」に立ち戻ることになった。 だが、この小選挙区制は、あげて選ぶ側、有権者自身の力量が問われる制度だということを、確認しておきたい。 もし、議員を、国民の「代理人」だと誤解したまま、この選挙制度に臨むことになれば、金権選挙、利益誘導政治は解消されるどころか、一層まん延することが目に見えている。 逆に、国民が直接、政治なり、政治家をコントロールする強い意思を発揮し、国政の国民自治に乗り出せば、新制度は、政治の復権に十分有効だと思う。 各党の政策の差が不鮮明で選択しようがない、政策が不在だ、などと嘆くまえに、まず、こんなことを実行したい。 候補者が「国民の代表」に足る「政治の志」をもっているのかをとことん見極める。 実績も見識もないのに、だらだらと議員を続けさせないために、議員の任期制を考えてみる。 金権選挙追放策の一つとして、戦後廃止されてしまった民衆訴訟による当選無効制度の復活も試みる……。 いま、直ちに戸別訪問による選挙運動を解禁することはどだい無理であろう。 だが、時間がかかっても、志が低かったり不在の候補者を、直ちに排除できるシステムを、どうしても作りあげたい。 生産者重視の政治から、生活者重視の政治へ。 中央集権から地方分権へ。 効率重視型から弱者救済型へ。 許認可天国から規制緩和へ。 日本が直面する政治のビジョンとして当然の指針だ。 しかし、まず、国民の「代表」を根本から選び直す、といった荒療治なしに、こうしたビジョンが実像として実を結ぶことは、あり得ないのではないか。 官僚制に依存し続けるのも仕方がない、とあきらめるのなら話は別だが――。 「国民は賢明だ。常に常識的な選択をしてきた」などという政治家側のおだてに乗るのは、もうやめよう。 そんな甘言に惑わされていては、政治は何も変わらない。 一九九四年の年間出生数は前年より四万七千人も多い百二十三万五千人を記録し、二十一年ぶりに大幅増に転じたことが三十一日、厚生省の九四年人口動態統計年間推計で分かった。 八五年から下がり続けていた合計特殊出生率も、これまでの一・四六人から一・四七人もしくは一・四九人程度まで回復する見通しとなり、深刻な少子化傾向にようやく歯止めの兆しが見え始めた。 この推計は九四年一―十月に、市町村に届けられた出生、死亡、結婚件数などを集計し、年間推計数を算出した。 推計によると、出生数は百二十三万五千人で、前年の百十八万八千二百八十二人を大幅に上回った。 九一年も出生数が前年より千六百六十人多かったが、「万単位」で前年を上回ったのは、対前年比五万三千三百一人増を記録した第二次ベビーブーム時代の七三年以来。 死亡数は前年を六千人下回り、出生数から死亡数を引いた人口の自然増加数も二十一年ぶりに対前年比で五万二千人アップした。 出生数急増の背景には九〇年ごろから始まったウエディング・ブームがある。 婚姻は毎年一万―四万組も増え、九四年も七十九万四千組で前年より千三百組多かった。 死亡数の減少は、九三年に流行して高齢者を中心に約一万六千人死亡の引き金となったインフルエンザが、昨年はほとんど発生しなかったためとみられる。 厚生省は「晩婚化による比較的高年齢の独身女性層が数年前から結婚し始め、出産に結び付いたと思われる。第二次ベビーブーム世代の結婚がこれに続けば、少子化傾向がストップする可能性もある」と分析している。 離婚も九一年から四年連続で前年を上回り、九四年は前年より七千組増の十九万五千組。 八〇年代前半に続く「第二次離婚ブーム」の様相が強まっている。 中国の江沢民国家主席は三十一日、国内及び海外の華僑、華人に向けて新年の演説を行い「一九九五年は、反ファシスト戦争の勝利五十周年であり、その中には、日本人の侵略に抵抗した中国人民の戦いも含まれている」と強調した。 来年一月一日に首相の座に座っているのはだれか――。 昨年の正月、こんな質問をしていたら、「村山富市氏」と答えた国会議員は何人いただろうか。 政界は激動の時代。 それでもあえて毎日新聞社は、昨年十二月実施した全衆院議員アンケートで、「一九九六年一月一日時点での首相はだれか」を聞いてみた。 結果は現首相の「村山富市氏」を挙げた議員は全体の二八%。 新進党党首「海部俊樹氏」の二三%をわずかに抑えてトップに立った。 与野党とも期待や願望が込められているようだが、村山氏、海部氏、どちらの予想が当たるのか、はたまた予想外の人物が登場しているのだろうか――。 アンケート結果を集計すると、一年後も村山氏が政権を担っていると予測したのは、自民、社会、さきがけの与党三党では四九%と半数近くを占めた。 政党別には社会五二%、さきがけ五〇%、自民四七%。 社会党議員の理由では「自民、社会、さきがけの連立である限り、村山首相以外ない」などがあり、自民からは「彼は欲がないから良い」、「代わる理由がない」などが挙がった。 一方、野党の新進党では「村山氏」は、わずか一%。 しかも、「権力者は権力にしがみつくもの」などという厳しい理由。 村山氏に次いで多かった「海部氏」は、政党別では当然ながら新進党が六〇%で最も高い。 新進党は早期解散・総選挙を求めており、与野党逆転→海部政権誕生との願望が込められているようだ。 しかし、新進党内では参加九党派ごとに海部氏に対する「支持」率は割れている。 これは新進党副党首の羽田孜氏を挙げた議員が少なからずいたことが大きな要因。 「羽田氏」を挙げたのは、旧民社二〇%をはじめ、旧新生一六%、旧日本新八%など、新進党内で計一〇%。 党首選のしこりが残っているとすれば、羽田氏人気は新進党にとってかえって波乱要因となるかもしれない。 羽田氏は与野党全体でも四%を集め、第三位に食い込んだ。 最大政党である自民党の総裁「河野洋平氏」は三%にとどまり、おひざ元の自民でさえ一ケタ台、八%の低率。 与党第一党の総裁とはいえ、首相の座に就くのは難しいとの見方が支配的だ。 このほか、少数ながら個人名では橋本竜太郎通産相、渡辺美智雄元副総理・外相、小渕恵三自民党副総裁ら十二人が挙がった。 だが一方で、「わからない」などの「無回答」は三六%にも上り、過去一年間に三度も首相が代わる政界液状化の中、「一年先は予測不可能」という思いを多くの議員が抱いていることを示した。 アンケートでは「好感を持つ各政党の首脳、幹部名」も挙げてもらった。 羽田氏は新進党議員の六五%が挙げ、海部氏の四〇%を二五ポイントも上回る人気ぶり。 小沢氏は新進党内での好感度は相当高いが、与党からの好感度は極端に低いという際立った傾向が出た。 米国で一月四日、共和党が主導権を握る新議会がスタートするが、対ロシア強硬措置を主張する議会がクリントン政権に攻勢をかけるのは必至の情勢。 中間選挙での敗北後、共和党寄りの政策にシフトしているクリントン大統領は、外交面でも同党に譲歩するとみられ、米国とロシアの対立はさらに深まることが懸念される。 米露関係の最大の焦点は、今秋先鋭化した北大西洋条約機構の拡大問題で、保守派とリベラル派双方の論客が年末に米紙で論争を展開。 共和党の有力者たちはクリントン政権に対露強硬措置を要求していくことを明らかにした。 キッシンジャー元国務長官は米紙ワシントン・ポストに「直ちにNATOを拡大せよ」と題する論文を発表。 「NATOがポーランド、ハンガリーなど東欧四カ国を加入させなければドイツとロシアの間に真空地帯が生まれ、両国がそれぞれ安全保障上の理由でこの真空地帯を埋めようとする結果、両国の対立が深刻化する」と指摘。 その上で、NATOは直ちにこの四カ国を加入させ、同時にロシアと条約を結び、新加入国に外国軍を駐留させないことを明確にしてロシアの警戒心を和らげよと主張した。 これに対しハーバード大のブラウン上級研究員は、NATOの拡大は必ずロシアの反発を招き、ロシアが欧州通常戦力削減条約から脱退する可能性を指摘。 「NATOに加わる四カ国と加わらない東欧諸国との間に新たなカーテンが下りる」と警告し、「NATO拡大に戦略的・政治的な合理性はなく、ロシアが近隣諸国に侵略的態度を取り始めた場合に拡大すると警告するだけで十分」と反論した。 共和党はギングリッチ新下院議長が作成した選挙公約「米国との契約」の中で「民主主義と市場経済への改革、及びシビリアンコントロール下の軍をもつ国々がNATOに加入することを促進する」とうたい、東欧諸国のNATO加入を進めることを明らかにしている。 さらに同党はここへきて「ロシアがNATOの将来や欧州における米国の役割について拒否権を持つのは許せない」、「米国は冷戦の勝利者として行動すべきだ」などと強硬姿勢を鮮明にし始めた。 クリントン政権はNATO拡大政策に反対するリベラル派をバックに、共和党に対処したいところだが、これまでのエリツィン政権懐柔路線をかなり修正せざるを得ないとみられている。 タイ北部パヤオ県にある小さな村。 ラオス国境の山並みを望む山岳民族モン族の村は一九九五年一月一日を酒盛りで過ごす。 モン暦の正月の日付は月の満ち欠けで毎年違う。 それが今年、西暦と重なった。 元日の朝。 村の衆は久しぶりに民族衣装に手を通し、祖先や村の霊に豚や鶏の生けにえをささげる。 そして、女衆はお節料理を炊き出し、男衆は酒を飲む。 青竹をスパッと切った大きなおちょこに、自家製泡盛をなみなみとついで飲む。 豪快に飲まねば男ではない。 「わしら若いころはもどしながら勉強したもんじゃ」と年寄り。 車座になって男たちが杯を重ねる。 飲み干すと隣の家に移る。 そして、飲み干すとまた隣に。 路上では子供たちがコマ回し。 モチつきにも人だかり。 うすの形は日本と同じ。 きねの形は月でウサギが使っているアノ長いヤツだ。 つくのは男の仕事。 酒の回りも早くなる。 夜も白々と明けるころ、酔いつぶれた青年を母と妹が家に運ぶ。 「もう一杯」「てやんでえ」と気勢を上げて、飲み続ける猛者もいる。 国境貿易で暮らす小さな村。 出稼ぎの若い衆も都会から戻り、酒酒酒……で新年は始まる。 シンガポールの英字紙ストレーツ・タイムズは三十一日、読者が選ぶ「一九九四年話題の人」を発表。 車にいたずらしてムチ打ち刑を受けた米国人少年マイケル・フェイ君がメージャー英首相など並み居る“話題の人”を抑えてトップになった。 あらかじめ発表された十人を読者が電話で投票するもので、合計一万九千七百七十人が投票、八〇%以上を獲得して断トツの一位に輝いた。